ベクトル/バランス 引かれても。魅かれても。 小さい頃から叶わないことを願うのは苦手だった。 あやふやなものに縋るのが嫌いで、はっきりしないことが嫌で、手が届かなければできるだけ届くように努力した。 それでも、だめなものがあると知ってはいたけれど。 孫策が外に出たのは偶然で、けれど、空気の振動が微かにその人を知らせたから、勝手に足がそちらに向く。 姿が見える直前、息をつめ深く吐き出した。 覚悟を決める。 「どこに行っていた」 周瑜は裸足で爪先が赤い。もともとひどく肌の色が薄いからいっそ痛々しいほどだ。 沓がないのはきっとどこかで脱いできたからだろう。 どこかが周瑜の部屋でもなく、頭を掠めた人の部屋でもないことを自分は知っている。 「散歩」 そ知らぬふりで周瑜は答えた。つきんとどこかが痛んだ。 それに気づかないふりをする。いつも。 「長い、散歩だな」 子供のように嫉妬しているかのような口ぶりで、呟く。 知っているぞと安易に漂わせて。 「長い散歩では、いけなかった?」 だめだといってもやめる気などないくせに、いつだって俺の意見を聞くだけで、叶えてくれたことはない。 だから。 「どうして裸足なんだ」 お前の癖を知っているけど、誰より知っていたって、今その沓がある部屋の、誰かにも敵わない。 だからこれは嫌味だ。その他の意味なんてない。 「それが?」 やわらかい笑顔ですべて覆い隠して、何をそんなに怖がっているのだろう。 騙されていると気づいていることさえ見抜かれているのなら、いっそ楽なのに。 互いに本音は一言も言う気がない。言えない。 「昨日とは違う男の匂いがする」 言いたいことはそんなことじゃない。かみ殺したものは。 けれど、唯一自分の痕を残せる手段がこれしかないなら、嫌味だから、やっかみだから、少しくらい、許して。 「それで?」 周瑜の笑みがいっそう深くなる。 俺がこの子供っぽさに何かを隠しているように、お前も隠しているのだろうか。 だったらいい。 隠されるほどの感情があるならいい。 たとえそれが誰かの代わりだとしても。 どんなことをしてもいいなら、都合のいい自分でもいい。 「お前は何を考えている」 聞いた瞬間耳を塞ぎたくなる。できない代わりに強く眉を顰める。 お前の中の俺はきっとそう言うんだろう?不安げに泣きそうに。 きちんと傷ついた顔をできているのだろうか。 お前を騙すために長年演じてきた大きな子供を。 何を考えているかなんて、分かっているんだ。 誰よりも近くにいたんだから。泣きたいくらいに近くに、いつも。 「何も」 それが真実ならいい。信じられるほど、単純ならいい。 隠していることが多すぎて身動きできなくなっていく。 それでも俺は子供のようで、お前は笑うんだろう。 昔のように何も含まない言葉は話せなくなった。 溢れていそうな感情が喉をいいように塞いで、だけどその正体を自分も知らない。 だって誰かがまだ引き返せると、そう言うから。 息ができないほど強く 身動きできないほど雁字搦めに 抵抗できないほど繋がれているのが運命なら それはなんて幸せなんだろう まだ子供なのかもしれなかった。お前も俺も。 たとえば傷を見せない、そんなところが。 たとえば、泣きそうになっていることに気づいてない、そんなところが。 もしそうなら、とても滑稽だ。笑いすぎて涙が出るくらい、滑稽だ。 こんなことをしても。 叶わないって気づけ。 「こんなことしてどうなるんだ?」 周瑜は答えない。きっと答えることができない。そんなこと本人にも分からない。 俺がお前を好きなのと同じように、お前が父上を好きなのと同じように、他の誰かではいけない理由が分からないのと同じように。 「俺は、お前がっ!」 強く強くその腕を掴んで。 この言葉を告げて、責任をすべてお前に押し付けるのもいい。 けれど。 さっきからぴくりとも歪まないその笑みが、なぜか泣きそうだと思ったんだ。 「好き?」 「違う!」 そう叫んだ。 お前のためには何もしないけど、お前を手に入れるためならなんだってする。 本当は激情を抑えられないほど子供でも口が滑ってしまうほど考えなしでもないけど。 きっと少し危なっかしくて、単純な方が、安心だろう? お前が何を怖がっていても、しったこっちゃない。 そんなこと知りたくないんだ。 身勝手で、いさせてください。 「本当は父上が好きなんだろう?」 子供のように、これからもずっと、だからたまにその微笑が崩れるくらい傷つけさせて。 誰かの代わりでなく俺をその中に入れてください。 深く、深く。 「なんで?」 漆黒の瞳が揺れる。水を含んだように。 本当って何?最初からその人だけ好きなくせに。 「父上に構ってもらえないから、そんなことをするんだ」 俺がこうやってお前に縋るように。 だって仕方ない。 孤独の面積の減らし方を知らないから。 同じに孤独で同じ孤独なのになんで埋められる相手が互いじゃないんだろう? 「どうかな?」 笑ったような気配はした。けれど顔は見えなかった。 そうして、触れるだけ、の、キス。 「公瑾、」 「おやすみ」 そんなものでは何も救われないと互いに知っているのに。 知っていても? 回廊を走っていた。脇目も振らずに。 ドンという音がして、次いで体に衝撃が来た。 倒れると思った自分はまだ留まったままだった。 「どうしたんだ!?」 見上げると愈河が驚いた顔をしていた。 「何が?」 「何がって、お前・・・」 愈河が頬を強く撫でた。 「触るな。子供が泣くのに理由なんかない」 理由なんかない。いらない。 愈河は少し呆れた顔をしてため息を吐いた。 「子供には子供の理由があるだろう」 知っているくせに。 「お前には分からない」 他の誰にも。自分の腕に添えられた愈河の掌が熱い。 この腕に助けられているのがいやで体を離す。 愈河の手は追ってこなかった。 「通してくれ。部屋に帰るから」 「嫌だと言ったら?」 にこりと笑う。 「力ずくでも通る」 脇をすり抜けようとして、愈河の腕に阻まれた。 キッと睨む。愈河は視線を前方に向けたままだった。 「たまには甘えろ」 聞かないふりをして腕を押すとより強い力で押し返される。 「お前はまだ子供だ。そうだろう?伯符。」 ゆっくりと愈河が振り返った。 「できないならせめて、今日は俺の部屋に来い」 そうやって笑うから、笑い返した。 「お前が心配するようなことは何もない。ないんだ、伯海。だから通してくれ」 もう一度愈河は深く息をついた。 一瞬の後。 頭を愈河の肩に引き寄せられる。 「仕方のない若君だ。まったくお前のやんちゃにはいつも困らされる。大怪我しないうちにやめておけよ」 「お前こそ」 そうして互いに視線が合った。一瞬の沈黙の後二人ふきだす。 愈河が踵を返して、立ち去ろうとしたので孫策も踵を返そうとした。 「なあ、」 不意にかけられた声に振り返る。そこには愈河の後姿。 呼びかけたままその先を話そうとしない愈河に首をかしげた。 「なんだ?伯海、何か、」 「俺はお前が好きだぞ」 くるりと振り返った愈河は笑顔で。 目が点になった。 「ぷっくくくくく・・あはははは!」 「おっ前!このやろう!」 ひとしきりじゃれあった後、二人の間にまた沈黙が下りる。 「ま、それは冗談としても、お前は公瑾に深入りしすぎだ。」 どこか抉られた。 「やめろといってるんじゃない。考えろ。追い込むだけでは落とせない。砦じゃないんだからな」 「・・・お前には分からないよ」 愈河は渋い顔をした。 「じゃあな。おやすみ」 「あ、おい!」 止まらず進んだ。 自分にできることはそれだけで、したいこともそれしかなかった。 いつ終わるかなんて考えたこともない。 けれど。 いつか終わることだけが絶対なら。 笑って。 |
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