オレンジが世界を支配する


 夕刻に訪れた父の室の奥で、牀に座って書簡を読んでいたのは周瑜だった。
 背筋をぴんと伸ばして、行儀よく腰掛けている。


 「公瑾」
 「あ、伯符」
 顔を上げて、見開いた周瑜の目の中に自分が逆さまに映っているのを見て、孫策は苦笑した。
 「父上は?」
 「何か用があるのだって。さっき出て行かれた」
 「そうか」


 闇色の、澄んだ目をしている。
 汚れた思いも、まだしたことがないのだろう。
 ただ孫策を瞳の中に映したまま、笑っていた。
 「それで?おまえは何をしてるんだ?」
 「文台さまが、これ、私も読んでおくといいと、」
 白く細い指で、読んでいた文字を指さした。
 「そうか。父上は、公瑾の頭の良さ、好きだからな」
 残酷だろうか。
 文字をさしていた周瑜の指が、一瞬震えた。
 決して、おまえ自身ではないのだと刷り込んでおきたかった。
 「ところで、俺聞きたいことがあるんだけど」
 「なに?」
 不安な表情を浮かべる周瑜の隣に腰掛ける。
 下ろされた髪に指を絡めた。それなのに、すぐにこぼれ落ちていく。
 何も得られやしない。
 これはまだ、どこも汚れてなんかいない。
 「おまえ、今いくつ?」
 「何、言ってるの」
 怖いのかもしれない。身を引こうとする周瑜の腰に手を回す。
 それだけで、周瑜の体が簡単に硬直するのが可笑しかった。
 「十五だよ。伯符と、同じ」
 周瑜の声が掠れている。
 その瞳の中に、冷たい目をした自分を見つけた。
 「そうだよな」
 「伯符、離してよ」
 壊してみたいときだって、ある。
 いつも優しくしてもらえるだなんて勘違いさせたくない。
 「今日の伯符、おかしいよ」
 おかしい?おかしいのは、俺じゃない。
 「父上のことが好き?」
 ずっと前から用意していた言葉を、周瑜の耳の奥に吐き出した。
 身を離すついでに、冷たい耳朶を噛んでみる。
 「ちが……っ」
 従軍してから、周瑜の目が追い続けるのは、孫堅ばかりだということには気づいている。
 痛々しさまで感じていた。そして、苛々する。
 小さく震えだした周瑜の肩を押さえつけ、牀に縫い止めた。
 「親友の父親を好きになるって、どんな気分?」
 「ち、がう……違う、そんなんじゃない」
 首を振って否定する周瑜の顎をつかんで、自分の方を向かせる。
 可哀想に。
 この状況に耐えられないのか、それとも抱え込んだ気持ちがこらえきれないのか、周瑜の目から大粒の涙がこぼれ落ちる。
 「私は、ただ……」
 「言い訳は無駄だよ。なあ、公瑾。この牀で父上に抱かれたい?」
 「ちがうっ!」
 否定すればするほど、それは肯定であるのだと物語っていた。
 可哀想に。
 こんなに泣いて。
 「おまえが、そんな浅ましい思いを抱いてるなんて知ったら、」
 本当に、こんなに汚れのない顔をして。
 「父上は、おまえを軽蔑するかもしれないな」
 周瑜の顔が、みるみるうちに歪んでいく。幼い子供のようだった。
 「酷いよ……伯符」
 確かに、酷いかもしれない。
 それでも、周瑜はいつか必ず泣くはずだった。
 「それとも、ここで俺が今、抱いてやろうか」
 ここで。
 決して聞き逃さないように、耳元にささやいた。
 「この、父上の牀でさ」
 「……っ」
 泣きじゃくり始めた周瑜から身を引いて、室を後にする。
 脳裏に焼き付いたのは、ただ子供のように父の牀にしがみついて泣く、周瑜の姿だけだった。
 酷いさ。確かに酷い。
 それでもおまえは、父上に慰めてもらえるのだろう?


 オレンジの陽が落ちてくる。
 回廊で、自室に向かう父と出くわした。
 「策、俺の室にいたのか」
 まだ孫堅は何も知らない。父は、何も知らないのだ。
 「ええ、特に用事はなかったんですが」
 「そうか。瑜はまだいるか」
 この濃い色に、全てが支配されてしまえばいい。
 「さあ。俺は見ませんでしたけど」
 支配されてしまえばいい。
 「そうか。もう帰ったのか」
 「帰るところなんて、ないでしょう?」
 あなた以外に。
 「何か言ったか」
 「いいえ、」


 しかし、渡すつもりがあるわけではないのです。
 愛しいのは、同じだ。


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