くづれる恋人


 愛なんてなくていい。
 愛してほしいなんて、言ってない。

 「公瑾、」
 「気安く呼ぶな」
 「では何と呼べばいい?」
 姫様というのはどうだ。
 「からかうな」
 拗ねているわけでも、怒っているわけでもない。
 周瑜にとって、自分はそれほどに気にかける相手ではないのだ。
 それが、心地よかった。
 ゆるゆると浮かべる小舟に、ふたり、ふたりしかいない。
 突然に、ひとりで川を見たいと言い出した周瑜が、
従者なしでの外出など認められなかったのは、当たり前のことだ。
 軍の中枢を統べる人間が、ひとりで出歩くなどもっての他。
 それに加えて、周瑜は、危うい。
 (何を追いかけていくか、分からない)
 ひとりになりたいときもあると言い張った周瑜が、
最後に連れて行ってもいいとしぶしぶ選んだのが、甘寧ただひとりだった。
 (憮然とした顔をしていた者たちを思い出すと、喉が震えた)
 するすると舟をこいでやれば、うつくしい手を水にひたす。
 「思ったほどには冷たくない。これなら、泳いでもよいだろか」
 「やめとけ、風邪を引く」
 言った端から川に飛び込もう、というより落ち込もうとする周瑜を支えれば爪を立てられる。
 突き出してみせるくちびるに、すべて奪われてしまう気がした。
 赤い。
 「風邪を引いて、寝込むのはいやだろう?」
 「お前ね、そんな口のきき方をしていいと、思ってるわけ?」
 ゆだねられる体は細いが、しなやかで、捉えきれない。
 「こういうのを望んでいるんじゃないのか、」
 薄布ごし、体温が高いのだろう、やたらに熱い。
 「たわけたことを言うな」
 くちびるを奪えば、思い切り頬を張られた。
 「馬鹿者、」
 ゆらゆらと舟が喘ぐ。
 片腕だけで支えられる背中を、舟底にしずめた。
 ばかもの。
 「馬鹿者で、結構」
 
 じり、と背中を焼く日差し。
 これは痛みではない。
 「お前、わたしを愛しているわけじゃないでしょう?」
 「その通りだ、な」
 「そういうところが、好きよ」
 愛され慣れているひとは、自分に何度も何度も確認の問いをぶつけた。
 まるで、愛してはいけないのだと、暗示をかけるように。
 「慈しまれたいだなんて、思ったことはない」
 そう言ってくちびるを歪める周瑜の、なんと禍々しく神々しいこと。
 「わたしを、」
 細い腕が、首にまとわりつく。
 「公瑾?」
 「愛さなくちゃいけないひとは、」
 すがりつくように、体を寄せられる。
 「もう、」
 だったらなんで、ほしがるのだ。
 「いない」

 「お前には、罪悪感というものが、ないから」
 どうしてそう決めつけられてしまったのかは分からないが、
たしかに自分は、周瑜に手を出すことに後ろめたさなど感じなかった。
 他の者がどう思っているかなど、知らない。
 自分は、自分のほしいものを手に入れるまでだと思っていた。
 そうしてそれは、周瑜も同じで。
 妥協を知らない、子ども。
 「だから、そういうところが、好き」
 しかしまあ、なんと残酷なこと。
 周瑜を愛する者が聞かされれば、卒倒しかねない残酷な台詞の数々。
 それを意識してこぼすのだから、もう手に負えない。
 「お前、ここにいるだけでいい」
 体温。舌と舌で伝わる体温。
 「御意」
 ほしいときには、ほしいと言う。
 喉の奥をさぐれば、首を振って逃げられる。
 鋭く睨むくせに、こんなに深い黒目で見上げてくる。
 「お前は、わたしがほしいか?」
 本気か、本気でないか。
 そんなこと、どうでもよかった。
 「遠慮しておく。俺には姫様を受け入れる度量なんざない」
 白い首筋に落とす、紅い痕。
 「違わぬな」
 ひゅうと鳴らす喉、そのままに笑い声が聞こえた。

 「なあ、あんたが本当にほしいものはなんだ?」

 「お前ごときに教えるものか」


 ゆらゆら、喘ぐ。舟が喘ぐ。
 お互い様に、くずれ堕ちた。



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