いみじき罪びと

 また雨だ、と孫堅は思う。
 周瑜を呼び入れる夜は、雨が降っていることが多い。
 それも小雨などではなく、雨音がはっきりと聞こえるような夜ばかりだ。

 「瑜の足跡を、誰にも見られぬようにしたいのか、」
 「文台さま?」
 「それとも、声を聞かせたくないのか、」
 つぶやきとなってしまった自問に、周瑜が反応する。
 齢十五。息子である孫策について周瑜が行軍に参加してから、
まだ一年もたっていない。
 「いや、なんでもない」
 この幼き者に手を出したのは、間違いなく自分だ。

 「おかしな文台さま」

 孫策と同い年であるというだけあって、くつくつと笑う姿はただ幼かった。
 (それでも声だけ妙に妖艶だった)
 顔立ちは美しいがまだ発展途上で、こののちどんな美形になるのか、
期待しているというよりは末恐ろしい。
 (どんな風に、周りの人間を引き込んでいくのか)
 すらりとしているが、まだ伸びきっていない手足も。
 そこだけやたらに完成している細い指先も。
 人形のように精巧でありながらも生気がみなぎっていて、
奪われているのは自分だと、思う。
 愚かだったのだ。

 「おかしな文台さま、わたしを抱いたのが皆にばれたとて、なんだというの」
 剥き出しの膝を抱え込んで、周瑜がおかしそうに体をすくめる。
 それを背中から抱くと、また少し身をよじった。ひどく熱い。
 「策に怒られるだろうな」

 「怒られればいい」

 あなたなんて。
 「怒られるのは、慣れてない」
 喉を鳴らすように笑う周瑜の顔をのぞき込めば、
たぶんもう大人の表情をしているのだろうと思った。
 誘ったのは自分だが、引き込まれているのも自分の方だ。
 「だが、手放したくもない」
 着かけていた薄い衣を再び取り払うと、笑って首に両手を回してくる。
 愛おしかった。
 「文台さまの手を離すつもりなんて、ないです」
 このすべてを独占していたかった。
 自分とは比べものにならないくらい細い肩にこぼれた髪の一房に、くちづける。


 「酔いにまかせて抱くのなら、やめてください」
 あの日、周瑜はたしかに言い切った。
 深酒を過ごしていたと思う。
 なんだったか。何か、良いことがあったのかもしれない。
 その後の記憶の方が強すぎて、深酒の理由は、もう曖昧になってしまった。

 「文台さま、あまりお過ごしになってはいけない」
 その小さな宴の相手に、孫策ではなく周瑜を選んだのも、
ただこの子どもに、純粋に興味があったからだ。
 聡い子どもだと思っていた。
 だからただ、その受け答えを聞いてみたかったのだ。
 「お前ももっと飲めばいい」
 ただ。
 簡単に引き込まれたのは、自分の方だ。
 何を言っても、打てば響くように返ってくる聡明な答え。
 「文台さま、」
 幼い表情と大人のような表情を、一瞬で行き来する美しい顔。

 これに触れればどうなるのか。
 これを壊せばどうなるのか。

 「俺が注いでやるから、」
 妙に大人びたその声にも、かき乱されていた。
 「子どもに酒をすすめないでください」
 苦笑してみせる周瑜の小さな唇を奪うのに、それほど時間はいらなかった。
 どんな表情をするか、見てみたかったのかもしれない。
 「なぜ、」
 案の定目を見開いた周瑜に、安心していた。
 「瑜、」
 「はい、」
 「俺は愚かだと思うか、」
 「いいえ」
 困ったような顔をしながらも抵抗しない周瑜に、安心していた。

 床に押しつける。
 細い手首を縫い止める。
 再び唇を奪う。
 口内を蹂躙する。

 何一つ、周瑜は抵抗しなかった。
 ただ、困ったような顔をしていた。
 それでいいのか、と。
 「瑜、」
 しかし、腰紐に手をかけたとき、周瑜はたしかに言った。

 「酔いにまかせて抱くのなら、やめてください」

 今となっては分かる。
 それは拒否ではなく、警告もしくは、忠告だった。しずかな、しずかな声と顔。
 愚か者。
 「酔ってるからじゃない」
 簡単に振り切った。
 周瑜の小さな悲鳴を、心地よいとさえ思った。愚か者。


 それから、それほどの時が経っているわけではない。
 しかし何度の雨の夜、ここに呼び寄せた。
 幼かった者も、化ければ化けるものよ、それもこの先は、人並み外れて美しく妖艶に。
 捕らわれているのは、周瑜ではない。
 なのにまだ、周瑜を自分の手の内に置いておきたいと希う。

 「お前の足に、枷をつけたい」

 「何のために?」

 「お前がどこにも行かぬように」

 誰の元にも走らぬように。思い重い枷を。

 「わたしが?」

 目にかかる髪を払ってやると、ほんとうに怪訝そうな顔をしてみせる。
 さっきまであんな表情をしていたくせに。

 「お前はいつか、俺の元を離れていくだろうな」
 すべてがお前の元にひれ伏すようになれば、ここに留まっている必要などない。
 「そんなこと、ない」

 しかしまだ、原石のうちは。
 「わたしは、いつまでも、文台さまの元にいたいのです」
 (そんな真剣な目をしてからに)
 ここで輝いていてほしい。

 愚かな愚かな希いごとだった。



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